旅順からの「坂の上の雲」20
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/11/21(日) 06:19:41  返信も含め全削除
旅順からの「坂の上の雲」20
登場するさまざまな人物像(乃木希典の生涯)

乃木については16の敵の将軍ステッセルとの関係について書きました。ここでは彼の武勲がどう評価されていたのか。旅順における彼の行動について触れたいと思います。
 私が大連に在住していた当時、中国の中学校、高等学校の歴史教科書をしらべたことがあった。かなり分厚い内容である。日本の教科書と対比するなら、どうしてこうも違うのかという、歴史的事実の違いの記述に圧倒される。

「旅順では、泣く子も黙る乃木将軍」と書かれていた。泣いていた子が「乃木がくるぞ、」と聞いただけで、泣きやんだと書かれている。あの温容な容貌、両頬に白い髭を蓄え、徳の高そうな風貌、軍神とまで言われていた人であったから、そのような残虐さをもっていたとは知らなかった。
 旅順の大虐殺の話は伊藤博文が箝口令を出したから、日本の新聞紙上には乗らなかった。アメリカの特派員がその事実を、目撃して、「THE WORLD」に掲載したことで、一部の日本人には知られたが、当時の一般国民は知ってはいない。南京や平頂山のことは今の日本人もよく知られていることである。
16、000人の一般人を殺害し、その死体処理に36人だけ生き残した。と
教科書には書かれていた。反日教育の走りの時代の教科書内容である。


返信 1 三木伸哉  投稿日 10/11/21(日) 06:20:34  削除
その乃木将軍をどう評価したら良いのであろう。敗戦前までは類い希なる軍神というイメージがつきまとっていた。明治天皇が崩御されたとき、妻と共に後を追い自刃した忠孝の誉れ高き武人という印象が強かった
しかしこの作品の評価は全く違う。戦争下手の無能な将軍として扱われている。乃木将軍は闇雲に突撃、トツゲキを繰り返し、ロシアの堅塁から銃火砲をあび、5万9千人もの兵卒の屍を築いた無為無能な将軍として描かれている。

203高地の攻略の糸口さえ見つけることの出来なかった乃木に、児玉源太郎が業を煮やし、戦略方法を児玉自身が作戦を変えて指揮をしたと言われている。
「児玉なかりせば、203高地の攻略なかった」と後世に伝えられた。

あれだけの犠牲を払っても乃木を解任しなかったのは、乃木には大きく人を束ねる器量の大きさがあったという。指揮官に求められるのは統率力という人としての器の大きさが必要。しかし的確な軍事作戦があれば、これほど愚鈍な描き方をされなかったであろう。この作品では児玉源太郎が大活躍する手腕が見事に描かれている。乃木は「ラストサムライ」として描かれているのではないか。
大山巌総指揮官は、児玉にやらせるという決断をする。乃木に代わって作戦行動を練り直し、二八サンチ砲というバケモノをあつめて旅順港内の軍艦に射撃開始し、焦眉をひらく。旅順の二〇三高地には往時の面影をととめるものとして。その巨砲が黄海の沖をめざして固定されていた。


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