旅順からの「坂の上の雲」21
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/11/28(日) 07:43:54  返信も含め全削除
旅順からの「坂の上の雲」21
日清戦争は朝鮮独立のための戦争であったのか 、
一昨年の早春の頃であった。パソコンの仲間と一緒に、男盛りを過ぎた8人衆が、「満州鉄道の旅」に出たことがあった。札幌から瀋陽に飛び、鉄道にて長春、ハルピンから大連へそして、旅順の203高地をめぐりっていた時であった。
1人の新彊ウイグル人の女性と会話をすることが出来た。
新彊ウイグルは、西部大開発で15年ほど前から脚光を浴びるようになり、いまや中国の豊富な地下資源の眠る宝庫、石油、天然ガスの発掘、レアメタルの発見など、罪人の流刑地であったようなこの広大な土地が、さまざまな話題を呼ぶ場所になってきた。

一見してわかる新彊ウイグル人の女性、白い肌、くぼんだ瞳、中だかの顔、この土地だけは中国国内で、いちばん美形の産出する土地、人種が違うからであろう。プートンホア(中国語の普通語)が通じない地域であるが、なんとかこの旅順の歴史、日本人についての印象などを聞くことが出来た。日清戦争時代のことも、学校教育では教えられたことがあると言う話であったが、日本人に対してけっして好意的な印象をもっているわけではなかった。

203高地の往復、かなりの時間話すことが出来た。私にはその女性との話が、とても印象深い時間であった。なかでも日本と中国の現代史はよく知っているようであった。江沢民時代から始まった歴史教育の徹底はこの新彊ウイグルにも及んでいることが分かった。

返信 1 三木伸哉  投稿日 10/11/28(日) 07:45:38  削除
日清戦争のプロローグ
韓国は日本から一番近い国であるが、21世紀のいま、あまり近い存在に感じられない。秀吉時代からの残虐行為、徳川になってからの外交政策の転換で好転し、そして日清戦争に及ぶ。関東大震災のあの朝鮮人大虐殺などは、国民の誰もが知っている事実であるが、歴史は時間とともに風化されていく。
 私は両国の関係をさまざまな書物、NHKスペシャル、高校講座世界史の番組などで集約したノートをもとに、コンパクトに集約して日清戦争に及んだ経緯、そしてその後の日韓関係にまとめておきたいと思った。
 
 日清戦争についてさまざまな理由付けを行った政府、福沢諭吉の明治27年の時事新聞に載せた「脱亜論」の真髄はなんであったか、内村鑑三の日清戦争賛成の立場がどう変わっていったのかも触れてみたい。
福沢諭吉は明治の進歩的な学者として、よく知られており、「日清戦争」は文野
の戦いであると言った。「文野」とはもう死語になった。文明と野蛮の戦いのことであり、文明国日本と進歩の大敵シナとの戦いであると書かれていた。

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