「現代への視点2010〜歴史から学び、伝えるもの」
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/12/1(水) 07:24:30  返信も含め全削除
道新フオーラム(2010,11,28 午後1時半―4時45分)
「現代への視点2010〜歴史から学び、伝えるもの」
「はじめに」
 澤地久枝さん、姜尚中氏、保坂正康氏による、この講演会の入場券は、受付開始から数時間で締め切られた。ようやく友人から1枚ゲットできた入場券を持参して、開場40分前に入場したら、もう半分以上の席は埋まっていた。ほとんど高齢者が多い。その概要をお伝えします。提言とトークセッションの概要のまとめです。
主催者の挨拶、司会者による3人の講師の紹介から、一人30分程度の提言がされた。
3人の先生方の自己紹介の内容と、提言、トークセッションをまとめてみます。

澤地久枝さん (作家、幼少期は満州で過ごす。太平洋戦争と昭和史を描いた作家)
 焦眉の急を告げる北朝鮮をめぐる情勢、黄海に待機する「ジョージ・ワシントン艦隊の出現は、大戦勃発を感じさせる」の話から切り始めた。横須賀には大艦隊がひしめくように停泊している現実がある。
北朝鮮の態度は、まるでダダッコのような振る舞い、民主党の現政権にも失望している。
自民党の腐った政権に失望して、国民は、民主党に期待をかけて誕生した政権ではなかったか。1%の支持率でも政権を維持したいというのは、狂気の沙汰ではなかろうかと手厳しい。このカオスの中から新しい生命の躍動を期待していたのであるが、失望が大きい。


返信 5 三木伸哉  投稿日 10/12/1(水) 07:29:15  削除
保坂正康氏(札幌出身、昭和史研究の第一人者、膨大な資料、聞き取り調査から著作)
私は個人的に彼の歴史講座にも参加して話し合ったこともあるので、著作の半分ほどは読んでいる。半藤一利氏と双璧を成す昭和史研究の泰斗であろう。
しかしまだまだ保坂氏はあくなき探究心で、昭和史を掘り下げ、史実を明らかにして、歴史が呟いていること、囁いていることばに耳を澄まそうと語りかけた。
戦後65年経たが、まだまだあの戦争は語りつくされていない、史実が明らかになっていないと語る。それはなぜだろう。戦後の30年ほどは大本営にいた人、軍隊の要職にいた人からの語られたこと、描かれたことがあまりにも多すぎた。

 炎熱の鉄兜、泥水すすり、草の根や木の皮を食べて命をつないできた地獄の中で、戦ってきた名もなき兵士たちの本当の声を、叫びを聞いて著された本はあまりも少ないことが分かった。保坂氏はその人たちに焦点を当て、一人ひとり訪ね歩いて、軍隊の底辺にいた人たちの聞き取りから始まったという。それは「ある兵士たちの証言」にもまとめられている。第一次世界大戦から戦争の中身が、がらりと変わった。大量殺人兵器の毒ガス、高射砲などによる殺人兵器で、第一次世界大戦だけで、民間人も含めて、1000万人が死亡している。
暗黒の昭和初期の時代はどんな時代であったか
太平洋戦争については、日本の各地(都道府県)の兵士たちの派遣される戦場に、格差が明らかであった。北海道、沖縄、植民地としていた韓国・朝鮮、台湾人、アイヌ人などの人たちは前線に追いやられ、若い命が消えていった。
たとえば旭川28連隊の兵士たちは、ガダルカナル島で、一晩で全滅している。彼らの理不尽な死に方をどう考えたらいいであろう。
返信 4 三木伸哉  投稿日 10/12/1(水) 07:28:23  削除
戦後65年、日本ほど平和を享受した国は、世界中どこにもない。留学するより温泉にでも行きたいと語る日本の大学生
朝鮮戦争で民間人も含めて300万人が死亡、アメリカ兵は5万人死亡、その後も38度線を境にさまざまな紛争があり、現在もきな臭い状況が続いている。
あるとき外国人から、「日本では太平洋戦争以来、どのくらい戦火を受けているか」と聞かれ「1945年以来、一度も外国との戦争体験もなく、平和に過ごしている」と答えたら、その外国人が「そんな国は世界中どこにもないであろう」と言われた。
そのように日本人が平和であり続けていることが、平和ボケの国民性になり、他国を知らない、夜郎自大な国民性にしてはいまいか、と語る。

また最近の大学生が留学したくないという現象についてこう語っていた。
ハーバートにも、スタンフォ−ドにもほとんど留学生がいない現象、学生に聞いてみた。
「どうして留学したくないのか」「留学する金があるなら温泉にでも行きたい」と答えたという。
今の自分を守りたい、自己保身が強くなり、冒険することを嫌う、このような日本の若者が多い状況では、日本の将来が思いやられる、と。
返信 3 三木伸哉  投稿日 10/12/1(水) 07:27:28  削除
姜尚中氏(東京大学大学院教授、今年還暦、在日としての辛酸を味わってきた人)
まず今年が韓国併合100年目であることにふれた。日清日露の戦争によって韓国がどれほど踏みつけられてきたか、歴史は事実を顕すが、日韓併合についての正しい歴史的認識をしなければならない。日韓併合のもたらしたものは何であったかを。
夏目漱石の「満韓ところどころ」の随筆や、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の唐突なエンディングは何故か、徳富蘆花と非戦論者トルストイーとの交流にも触れていた。
もし日本が韓国を併合する(植民地化)しなかったら、ロシアが植民地にしたのであろうか。ロシアには領土的野心があったのだろうか、との発言もあったが私は信じがたい。
日韓併合時代の伊藤博文と山県有朋との確執、伊藤博文がハルピン駅で銃弾に斃れた時の様子も語っていた。本当に安中根が放った凶弾が伊藤博文を倒したのかという話も触れていた。凶弾は別な角度からも打たれていたことは歴史上の事実であるけれども。

ドイツでの体験 (ドイツの敗戦処理と日本との対比)
若いときドイツへ留学した。留学というより日本での「在日」としての辛酸から逃れたかったというのが本音である。ドイツ時代は、はるか向こう側から日本が見えた。
まさに虹のかなたから韓国を、日本を眺めることができた。まさにオーバーザレインボーであろう。
ドイツでの敗戦処理と日本の対比のことについて、次のように語られた。
ドイツでは、ナチスが最も迫害したポーランド(ホロコーストの最大の被害国)へ、初代の連邦首相アデナウアーが、大地に膝まずき許しを乞うた。

日本は韓国に何をしてくれたろうか。65年の日韓条約で、わずかな賠償金(5億ドル)でけりをつけた事実を韓国の国民は忘れなかった。その事実が日韓の不仲につながっていた。しかし金大中の時代からの文化的交流が始まった。それ以来日韓関係は良好になってきた。
返信 2 三木伸哉  投稿日 10/12/1(水) 07:26:23  削除
 前途有為な若者があっけなく死んでいった戦争の残虐さ
日本の戦死者の兵士は、21、2歳の若者に圧倒的に多かった。南方の戦場で、中国戦線で散ってしまった若者たちの多さに、唖然としたと語る。そして中国の20万人いた匪賊が日本兵に殺戮されて最後の一兵の話もされていた。
大岡昇平の「俘虜記」「レイテ戦記」の作品にも触れておられたが、これらの作品群には戦争の残虐さはあまり描かれていないことに言及していた。

戦争を知らない世代がますます増えている日本の現実、若い人たちはもちろん、60代の人たちにも65年前の戦争の実態を知っていない人が多いという。
「言論は未来の希望なくして成り立たない。歴史は向こうから語りかけない」と訴える。
彼女が最後に訴えていたのは、「老若同盟」の創設、年寄りから若い者に伝えていくことの大切さを訴えていたのが印象に残る。80歳の作家の願いの集大成であろうか。

返信 1 三木伸哉  投稿日 10/12/1(水) 07:25:17  削除
澤地さんの生涯を貫いてきたもの
もう80歳を迎える澤地さんは、若々しい声、張りのある口調で、やや早口に自分の生い立ちを語り、満州での体験、現状の日本を憂いていた。
幼少時から少女期まで(4歳から16歳まで)、満州(中国東北部)に生活して、当時の植民地時代を目の当たりにしてきた。
少女時代に教わった教育は、軍国時代真っ盛りの教育であった。歴史の教育は「天孫降臨からの神話の話しか教わっていない記憶がある」と語り、いかに軍国主義の教育に、国民は洗脳されていたのかを声高に語る。
 
憲法1条と9条の精神が、彼女の生涯を貫いてきたものと語っている。「9条の会」の中核をなしていた、小田実さん、加藤周一さん、井上ひさしさん方が他界し、戦争を語り継ぐ人たちが、次々と消えて行ってしまう世の中は、今後どうなっていくのであろうかと。
自己主張をしない日本の若者たち、小さな殻に閉じこもって、世界にも、歴史にも目を向けない若者が増えている日本の現状を憂いている。

澤地さんの作品は「妻たちの2,26事件」をはじめ、太平洋戦争にかかわる、小市民の、名もなき人たちの戦火に散った兵士たちを描いているが、一貫して生涯を貫いていたのは、実体験からの反戦思想であろう。
それは満州で、いかに日本軍が中国人を蔑み、虐待してきたかを、目の当たりにしていたつらい体験から迸る精神の発露ではないのだろうか。

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