旅順からの「坂の上の雲」24
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/12/25(土) 06:18:27  返信も含め全削除
旅順からの「坂の上の雲」24
あのイエローモンキーが日露戦争に勝ったのかと
東洋のイエローモンキーと侮られていた日本、世界の列強にとっては文明国が文明国でない野蛮な国々を併合し、キリスト教に改宗させていくことが神の摂理であった。時は弱肉強食の時代であった。
東洋の離れ島、イエローモンキーといわれ、世界からも相手にもされなかった日本が、あの大国ロシアに勝ったというニュースは、世界を震撼させたと言われている。
特にアジアや中東、アフリカの人たちに限りない夢を与えた。民族独立、植民地からの開放、人種は平等であるという夢を与えたと言われている。

近代中国の建国の父「孫文」はこういっている。
「日本の勝利が、大国の圧政に苦しむ民族に限りない希望を与えた。アメリカの虎、ヨーロッパの鯨の白人の横暴に対して、黄色人種としてはじめてストップをかけた。日本に学べ」と。
孫文の陵墓は南京にある。この陵墓を訪れたことがあった。長江の川沿いにある南京の鬱蒼たる林の中に孫文の墓があった。階段を100段以上上り詰めたところに「中国建国の父」と言われた陵墓があった。ひきも切らない参詣客、その陵墓の大きさ、荘厳さに圧倒される思いであった。

孫文の呼びかけもあったのであろう。世界の輝かしい星と写ったのであろう。日本に続々と留学生がやってきた。中国、朝鮮、印度の留学生に、日本中がわき上がった。
日本の勝利は、単に有色人種にとどまらず、ロシアの圧政に苦しむ東欧諸国は民族独立運動に火が灯り、めらめらと燃え上がっていった。

レーニンは、旅順でのロシアの降伏はロシア王制のツアーリズムの序曲と言い、首都サンテブルグで「血の日曜日事件」が起こり、世界で初めての共産主義国家の誕生が、12年後に起きた。


返信 1 三木伸哉  投稿日 10/12/25(土) 06:19:44  削除
レーニンは、旅順でのロシアの降伏はロシア王制のツアーリズムの序曲と言い、首都サンテブルグで「血の日曜日事件」が起こり、世界で初めての共産主義国家の誕生が、12年後に起きた。

しかし日清、日露戦争で勝った日本が韓国を併合し、列強と同じ植民地をもつ帝国主義の国であったかと、日本に歓喜し、これからの世界の変貌に期待をかけていた人々に、深い悲しみを与えた。
 孫文も、ネールも、日本の留学生として東北の医学専門学校の藤野先生に深い感銘を受けた中国近代文学の父と言われた魯迅にも、深い悲しみをあたえたであろう。ベトナムのチャウ首相は小村寿太郎に書簡を送っている。
「あれほど賞賛した日露戦争の日本の勝利は何であったのか。日本を欧米列強の同類の敵とみなす。征露の一役は歴史にどれほどの価値があるのか」と。
胃腸薬「征露丸」いつのまにか、「正露丸」に変わった。

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