回想中国 1 大連の生活が始まった
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/3/5(土) 07:36:45  返信も含め全削除
回想中国 1 大連の生活が始まった  
潮騒の聞こえる宿舎
 朝まで大連の初夜は、スズメバチとの格闘であまり寝付かれない一夜が明けた。船が出ていくらしい汽笛の音が聞こえる。開け放たれた窓から、うち寄せる波の音がかすかに聞こえてくる。
     朝明けて船より鳴れる太笛の こだまは長し波よろふ山 
茂吉の一首が浮かんでくる。
 昆布取りをしている船であろうか、眼下の海を整然と隊列を組んでいく小舟の曳航、岩場に素裸の若者が糸を垂れている。窓の全面は黄海を舞台にした一幅の絵である。

ふと人の声が聞こえてきた。四階の宿舎のすぐ下に東屋があり、そこに一〇人ほどの学生が屯して、なにやら本を眺めながら呟いている。
耳を澄ますと、英語と日本語である。時間はまだ五時半、この時間にもう宿舎から出て学生たちは、この東屋に屯して日本語と英語を暗唱しているのである。
驚いた、腰をぬかさんばかりであった。これでは日本の学生が敵うわけがない。やがて学生たちの姿が三々五々消えていった。

返信 1 三木伸哉  投稿日 11/3/5(土) 07:37:33  削除
懐かしい日本の曲も
 朝六時から学生寮の宿舎の方から、聞いたことのある曲が、何とも軽やかな調べに乗って聞こえてきた。
  「埴生の宿」「鉄人二八号」「ドレミの歌」「幸せなら手を叩こう」の日本の曲や「クワイ川マーチ」「マイオールドケンタッキーホーム」など、今の日本では聞くこともできないような、レトロ調の曲が鳴り響く。
 この曲は学生自治会から流されているという。
学生たちはこの音楽が聞こえだしたら行動開始、六時半にはグランドに集合して、体操が始まる。日本のラジオ体操1,2を良く知っているが、この中国の体操に参加してみて、ゼンゼン趣の違った体操であった。
 班長(日本流では、昔の級長、今風では学級代表)が点呼を取る。出席を確認して約一〇分の体操は終了。
  
それから学生たちは食堂に大移動、この大連水産学院は4000人ほどの小規模の大学であるが、4000人の学生が移動する姿は壮観である。
食堂が全員を収容しきれないので、半分くらいは、宿舎に食事をもって移動していく。
小中学校は朝七時の始業、大学は八時からの授業開始、私も自室の炊飯器で炊いた日本食を食べて、教室へ向かった。
2年生の教室、日本と同じ6・3・3制であるので、19歳か20歳の若者たち、好奇心に満ちた眼で一言一句聞き漏らすまいとして挨拶を聞いている。
定年後3年たって一念発起、「中国の学生たちと過ごしたい」と思ったと話すと、拍手が沸いた。


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