回想中国 21(中国の大学での外国語教育)
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/6/8(水) 10:06:01  返信も含め全削除
回想中国 21(中国の大学での外国語教育)
日本語科の衰退は日本の国力の影
当時、中国国内にはおよそ1700の大学と学院があるといわれていた。日本国土の26倍の面積があり、10倍の人口を擁するこの巨大な国の統計的な数字は、正確でないことが多い。上記の1700という数字も今から10年前、それからどのくらいの数になったのか、中国在住の日本語教師に問い合わせても、不明である。
 
その大学はほとんど外国語学科を設置しているが、かつて隆盛を誇った「日本語学科」は、バブルの崩壊、日本経済の落ち目の影響で、もう昔日の面影はなく、しだいに日本語学科も数が少なくなってきた。
 中国への日本語指導の教師を派遣するのは、5つほどあると言われている。私たちの派遣は一番主流を占めていた日中技能者交流センター、曽野 綾子氏が代表を務め、かつての総評の議長の槇枝 元文氏が理事長(平成22年11月89歳で逝去された)として長い間勤務されている。

その交流センターからの派遣が、センター派遣といい、日本語教師の主流を占めている。 その他、海外青年協力隊、各都道府県からの現職教員から選抜された人、宗教団体、個人契約(現在これが一番多いと思われる)など、派遣の内実は多様である。かつてはロシア語、フランス語も学部が設置されていたが、ロシア語はソ連の崩壊に伴って激減したし、フランス語科も設置されているのは、外国語専門大学に絞られてきたようである。


返信 1 三木伸哉  投稿日 11/6/8(水) 10:06:42  削除
日本語教育の内容 
日本語の指導内容は多岐にわたる。最も一般的な指導は会話であった。
「会話」の指導、日本人であれば誰でも出来ると思われるのであろう。中国に派遣された教師の奥さんは、教員免許を持たなくても、この会話の授業を担当することが多い。
「精読」という日本文学、論文の指導、私の担当した3年の精読の教科書には、小田 実の「何でも見てやろう」 堀 辰雄の「風立ちぬ」はじめ、「走れメロス」など、比較的古い教材が多かった。
「聴解」(日本語を聞いて理解する)の指導(このカリキュラム作成に最も苦労した)、作文指導、日本文化(政治経済も含むことが多い)指導、更に上級クラスになれば、高等学校の日本語教師でなければ勤まらないような、日本語の古典の指導の時間も設置してある。
 私の友人の奥さんは「私は中国には山登りにきたのです。黄山、泰山をはじめ、蛾眉山から思いは天山山脈まで、、」と断ったが、どうしても会話を担当して貰いたいと、懇請されて、会話の授業を担当し、とうとう1年間の勤務期間、一度も中国の山に登らず、帰国してしまった。いまでもその当時の教え子からのメールがあるという。
回想中国 22(女子学生のすすり泣く声)

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