回想中国29 大連の草創期といま
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/7/8(金) 06:58:47  返信も含め全削除
回想中国29 大連の草創期といま
五味川順平の描いた満州
50代以下の人はこの作家の名前は知らないかもしれない。「人間の条件」が世に出た時に、私は22歳の就職したときであり、この本を一気呵成に読んだ。そのわくわく感はまだ記憶にある。日本の軍隊の不条理で冷酷な世界、妻と満州に追いやられて、会社の方針に反旗を翻し、やがて妻を残して、梶2等兵の過酷な軍隊生活が始まる。
「戦争と人間」は、「人間の条件」よりも、もっと幅広く当時の財閥の戦争協力、反戦思想の息子や娘の親子の確執を描いて、実に読み応えのある作品であった。
 彼は大連一中の出身である。彼は一中をこのように回顧する。
「大連一中は、気合のかかった学校だったように思う。
当時の一中には、すぐれたスポーツマンも、悪童も、秀才も渾然として存在していた」と。東京府中に引けを取らない教育がなされていたように思われる。

 かつて大連に住んでことのある日本人に、当時の生活ぶりを聞いたことがあった。終戦時の混乱、略奪、避難など思い出を除けば、大連は、すべてアカシアの馥郁たる香りが漂ってくるようだと語る人が多い。大連には開拓農民団と違って、白米や新鮮な魚介類を口にして、水洗トイレを使っていた。お手伝いさんも雇った生活、最も恵まれていたのは、満州鉄道の人たちであったらしい。その下に、商業を営む人や官吏、一番哀れな生活を続けてきたのは開拓農民団であった。


返信 1 三木伸哉  投稿日 11/7/8(金) 06:59:35  削除
私の赴任した当時の12年前の大連は
まずその垢抜けした景観に唖然とした。人口およそ530万人、中国では中都市である。快適な気候、中国一の風致地区に指定されて、降雨量が少ないのだが、いつも緑なす庭園には放水車が芝生を養生して、樹木も枯らすことないようにしている。
長江以北は降雨量が少なく、大連に住んだ2年間で、大雨になったのはほとんど記憶がない。時折飛行機を飛ばして人口雨を降らせたり、45の少数民族がいるので、中国奥地では巫女が雨乞いもしている。

 大連駅は東京上野駅に模して建築された。3年ほど前に改築されたけれど原形を残していた。12年前もいまも風景絶佳なところは、労働公園であり、星海の海水浴場、老虎譚など数えればきりがない。
人民広場もさすが中国共産党らしい威容を誇っている堂々とした建築物の前に、広大な面積の広場がある。
 当時1元(14円程度)のバスで大連市内を回ることが楽しかった。大連市の中心から、およそ50キロ離れたところに、経済特区が開発され、日本企業が目白押しに立ち並んでいた。あれからモノレールもできて一段と交通の便が良くなったという。
 しかし表は中国に冠たる風致地区であるが、裏街道は中国らしい。

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