男4人の台湾訪問(台湾の今昔) 6
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/9/8(木) 05:26:07  返信も含め全削除
男4人の台湾訪問(台湾の今昔) 6
大陸から運び込んだ中国の国宝 「故宮博物館」
北京の故宮博物館は、大連の日本語教師の務めが終わって、家内と一緒に、北京―西安−上海―大連―瀋陽を一巡した時、専従のガイドをお願いして広大な故宮博物館を見たことがあった。
ほぼ4時間くらいであったが、日曜日ということもあり、雑踏にもまれながら回った記憶がある。なかでも何百人という紫禁城の宦官の住まいがまだ印象に残っている。
ウナギの寝床のような狭い部屋に押し込められていたのであろう。中国5千年の歴史(日本では4千年と言われるが、中国国内では5千年になっており、自分でも中国の文献を調べてみた。
その国の歴史という長いスパンは、歴史上の史実が確固たるものであるかどうかである。果たしてその史実は何冊かの本に書かれていた。
大連時代「中国4千年の歴史」と言った時、すぐ学生から「先生。5千年の歴史です」と訂正されて、文献にあたったのであった。それ以来自分でも中国5千年の歴史と言っている。

蒋介石は台湾に逃げる時、膨大な品々を故宮博物館から持ち出した。その品々をあの台湾海峡の激流を持ち運んだのであった。書画に興味があったので、中国古代からの書跡の拓本や、水墨画の世界を覗いてみたかった。
しかし展示品が多すぎて、ある期間を過ぎてから並べ替える仕組みになっており、私にとってはあまり興味のない玉で作られた白菜だの、陶磁器だのを短い時間に覗いただけであった。
なにしろ一つの品物を、1分見たとしても、数年かかるといわれている膨大な展示品を、終戦のあのどさくさに紛れてよく持ち運んだという驚嘆の気持ちしかわいてこなかった。
蒋介石の台湾での治世を、のちに詳しく述べていくとして、ともかく大陸から持ち運んだ品物の数々、日本統治下時代に蓄えていた食料などを、上海に売ることによって、世界一の金持ちの台湾になったのであった。

返信 1 三木伸哉  投稿日 11/9/8(木) 05:27:12  削除
台湾の軍隊の閲兵式
故宮博物館を出た時、添乗員さんが「今日は軍隊の閲兵式と守衛の交代の時間帯です。ちょうどいい時間帯にめぐり合わせました。さあこれからまず守衛の交代式、そして閲兵式を見ましょう」と言われた。ぞろぞろと入口の守衛の交代に向かった。
二人の兵隊が身じろぎもせず、瞬きもせず、同じ姿勢で屹立している。はじめはああ見事な人形だな、本物そっくりだ」と失礼なことであったが、誰しもそう思うくらい、何時間も寸分の狂いもなく銃身を捧げて屹立しているのである。
瞬きぐらいしてもよさそうなのにご苦労な話であった。それが台湾軍隊の、統制のとれた姿勢なのであろう。1950年から、国民党は金門島と馬祖島の前線基地から、1キロメートル先の中国大陸に向けて、大砲の照準を合わせている。
 閲兵式はおよそ200人位の兵士が、寸分の狂いなく行進をしている。北朝鮮のような足を高く上げる方式ではなかったが、背中に汗がにじんでいた。「ご苦労様」とつぶやいた。
台湾には1年間の徴兵制度、大陸には形だけの徴兵制度、農村部の青年ですぐ満員になる。

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