8(台湾の国の始まりは)
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/9/20(火) 07:54:46  返信も含め全削除
男4人の台湾訪問(台湾の今昔) 8(台湾の国の始まりは)
台湾という国名はない。現在も中華人民共和国(中国)の台湾省と呼ばれているに過ぎないが、中国の支配が台湾海峡に及んだのは14世紀。17世紀までは政治的な支配の及ばない「化外の地」として、原始的な生活を営んでいた。
高山族と呼ばれるマレーポリネシア系の民族が渡来し、狩猟や焼き畑農業を生業として、この地に住み着き、7つほどの民族の抗争は絶え間なかったという。首狩り族という恐ろしい種族もいたようである。

「その民族は、中国やベトナムのように、辺境の地に住んでいるのですか」と添乗員に聞いてみた。「大陸と違うところは、パプアポリネシア系の人たちは、あとからやってきた漢族の人たち(主に福建省や広東省の海岸部から来た人たちや、(客家)ハッカー人というに人たちに、同化してしまったのです。少数民族の問題などはほとんどありません」との答え。
 「ウインド イズ ブローイング フロム エージア]の華麗な声と、魅惑的な容貌で一世を風靡した、ジュデイオングもその少数民族の末裔という。

大連で教えていた大学生には、ハッカー人という人たちはいなかったが、現代中国の経済的発展の祖となった、ケ小平は客家人であった。この民族は多民族からしいたげられて、大陸の山間僻地に住んでいた人たちであった。
中国の民族問題は永遠に収束しないではなかろうか。特にチベット自治区、新疆ウイグル地区、そして内モンゴル自治区、の3省は地下資源の発見による漢族の支配、賃金格差の問題が起きて、絶え間なく人民解放軍が出兵したり、警察が鎮圧している。

返信 1 三木伸哉  投稿日 11/9/20(火) 07:55:29  削除
圧倒的に多い「日本大好き人間」の台湾、
しかしこの台湾にそのような民族問題が起きていないことが、経済発展の礎を作ったものであろうし、台湾人と日本人の交流の多さ、日本に統治された当時は皇民化教育もあって、辛酸の日々を送っていた時代もあった。しかしその時代ははるかに過ぎ去っていき、若い人々は、そのような体験もない、50年間の統治でインフラ事業のなかに、灌漑工事が盛んに行われて、農産物の収穫も飛躍的に増えた。教育施設の基礎もできた。
そんな事情が大陸とは全く違う状況であった。台湾と日本人の交流の多さは大陸より圧倒的に多い。大陸からは富裕層がやってくるようになり、電気炊飯器、資生堂の化粧品などを購入して帰るが、札幌に見える中国人に話を聞いてみると、ほとんど「台湾からです」「香港からです」という声が多い。世界中で「どの国に行ってみたいですか」とのアンケートには50%近い人が日本と答え、ヨーロッパ全体の国をあわせても30%、アメリカと答えるのは10%くらい中国に至っては8%位であったが、このようなアンケート調査は毎年変わりやすい。
なんとしても現在の日本では「放射能の危険」が日本への観光客を激減している。

しかし台湾の人たちの今回の東日本大震災への寄付は世界NO1であった。時々刻々寄付金は変わるけれど、どうして九州の一回り小さな国に住む2300万人の人々の善意がこのような多額の寄付として実を結んだのか。私はそのことに注目した。

返信する

パスワード

一覧へ戻る】 ※最新の画面を表示するには再読み込みしてください.