15蒋介石以後
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 11/12/23(金) 11:40:07  返信も含め全削除
男4人の台湾訪問(台湾の今昔) 15蒋介石以後
ここで有名な宗家の3姉妹の嫁ぎ先と、その数奇な運命の片鱗だけでも触れておきたい。
3姉妹ともクリスチャンであり裕福な牧師の一家であった。長女の宋霞齢は孔子の末裔の御曹司と結婚、裕福な生活を送った。次女の慶齢は22歳の時、四九歳の孫文に見初められ結婚、愛があるから年齢は気にならなかったのであろう。三女の美麗は、蒋介石に口説かれて結婚したということになっている。3姉妹の生き方は波乱万丈であった。
蒋介石の治世は長男の蒋経国の終わるまで続いていた。蒋介石の死後も宋姉妹の三女の美麗が政治問題に最後まで口出しをしていたという。

今後の日台関係はどうなるであろう。その前に台湾の総督府が馬九英になるまでと、今後の台湾をしょって立つ馬休九英の今後の展望について触れなければならない。
蒋介石が一九七五年四月五日に斃れてから、一年間、厳家塗が総督を行った。次は蒋介石の長男の蒋経国が一九七八年五月から約六年務めた。ここまで歴代の総督府は外省人であった。
つまり台湾は、他国ものに統治され、塗炭の苦しみを味わってきた三〇年であった。
まだ大陸では改革開放の時代ではなかったが、大陸や日本との貿易も盛んになっり、次第に経済的な蓄積も見られるようになった。
外省人の紹経国も大陸に帰り、次の総統は我々の時代にはよく耳にした李登輝総統であった。生粋の本省人(台湾人)であり、京都大学で教育を受けた俊秀であった。司馬遼太郎に言わせると「山から切り出したばかりの大木に目鼻を掘ったような」とあるが、日本のTVにもよく登場した。大柄な体躯、健康体から迸るような覇気が感じられた。

返信 1 三木伸哉  投稿日 11/12/23(金) 11:40:54  削除
日本人にも本省人にも歓迎された。日本は中国との媚中外交からか、李登輝が日本で入院したいと言っているのに、その台湾とは国交が回復していないからという理由で、当時の外相の河野一郎が入国を断ったというニュースが流れていたことを覚えている。

次の総統は民進党の陳水扁であった。国民党が続いた台湾にあってこの民進党の8年間の対中国路線は今までとは異なり、明らかに台湾独立路線を示していた。
中国は台湾海峡に最新鋭の兵器を向けて緊張感も漂い始めた。台湾独立派は、本省人(生粋の台湾人)にとって、なんとしても勝ち取りたい悲願であろう。あの忌まわしい2,28事件を忘れていない。台湾人としての誇りを失うことはできないであろう。

中国との関係がぎくしゃくしてきたのは、民進党の陳水扁の時代ではなかろうか。軍備も増強した。いつでも大陸に向き合いドンパチできるような気配が感じられたが、おそらく中国の
軍備の増強ぶり、近代兵器の導入、兵役に就く人数は中国では減っているが、最近は東南アジア一帯の海に出没して、海底の資源確保に鵜の目鷹の目の様子である。
中国の兵役は一年間であるが、前述したように、そのほとんどが農村出身の若者で占められている。就職難を背景とした、農村の若者の就職対策と思われる。

台湾人の独立の願いを背景にした民進党の陳水扁の8年間は終わったのであった。
今の政権の馬総統はかなり中国寄りに舵を切っているといわれる。

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