新規投稿者 三木伸哉
投稿日 13/12/14(土) 11:33:22
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習近平からの中国 4
「世界からさらば」というけれど
世界からの企業は、中国から東南アジアの各地に、また中近東まで世界の工場が林立する時代になった。中国が一人っ子政策を行ったのは1979年、その子供達はじつに俊秀揃いであった。朝の5時から教員宿舎の階下の東屋で、英語と日本語の合唱曲のような音声が聞こえて、目を覚まし、その勤勉さに度肝を抜かれた。彼らは外国へ留学する金がないから、ともかく語学は自分たちでサークルを創り、音読と暗唱の独学で語学をモノにする。胡錦濤の側近の通訳は中国本国で鍛え上げた国内産の通訳であると聞いた。
賃金体系は15年前とはずいぶんかけ離れた。当時一般の労務者の月給が500元(14000円程度)現在では3000元はごく安い賃金、企業によっては、5000元から1万元くらいになってきた。中国の大学生の賃金は、大学の格付けによって自動的に決まっているようであった。例えば大連でトップクラスの大連理工大学を卒業と言うだけで、当時の他の大学の卒業生より3倍もの月給であると聞いていた。
さあそのように高い賃金になったけれど、日本の26倍もの面積、沿海側の賃金と内陸では、まだまだ格段の差がある。また漢族優位の国情はかわらない。
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