随想 発寒川の河畔から 1
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 15/5/18(月) 15:45:44  返信も含め全削除
随想 発寒川の河畔から 1(2015,1〜)
私がこの発寒川の河畔に住み始めたのは、オホーツクの山間部から越してきた37歳の時であった。網走管内第5方面というのは、流刑地のようなところであり、なかでも北見滝上という、渚滑線のどんづまりであった。9年間の勤務をおえ、試験を受けて、札幌の地へ引っ越してこられたのは、様々な人たちの恩顧のおかげである。

一端はまり込んだら這い上がることは難しいと言われた「北見滝上」という所は、酷寒の地、零下30度にもなる朔風吹きすさぶところであった。佐呂間、美幌と流れてきて北見滝上からウスバカゲロウがようやく這い上がってきたように、札幌の地へやって来たのは、まだ37歳であった。しかし中学一年を担当したときは、まだ若手でぴちぴちしていたのに、どういうわけか、この溌剌たる若者を「とっっさん」と呼んた。

この時の担任であった生徒が、毎年のように旅行やクラス会を計画してくれる。教師冥利に尽きる80歳に手の届くところまで生きてきた。発寒川は融雪期には洪水になりはしまいかと思うほど河川が氾濫していた。
やがて護岸工事も進み、息子達が原始林のような樹木にぶら下がってターザンごっこをしていたのは、もう遙か40年以上に遡る。


返信 3 三木伸哉  投稿日 15/5/18(月) 15:49:42  削除
いつか、「この美食ここに極まれり」という逸品を創っても食べさせてやらないぞ、と心に決するところあって、一人の時は、自ら食材を買ってきて、「包丁一本会」の腕を落とさせまいと努力しているが、もう「包丁一本会」は、15年も昔になったので、いまは妻の出された料理を、「こんなうまい料理食べたことない」と嘯きながら毎日を送っている。

かつてこの発寒川に「ピラニア2匹」を放流した人おります。皆さん危険ですから絶対に川に入らないでください」とラウドスピーカーが、町内を巡視をしていた。
どこかの誰かがピラニアを飼っていたが、だんだん大きくなっていく、我が身にも危険が及ぶかもしれないと発寒川に放流したのであろう。こんな無責任な人間にペットを飼う資格はない。放流する前に、成仏させてからピラニアは果たして美味かどうかの判定をして報道機関に報告するくらいの、人間としての器量がなければ、ペット愛好家とはいえない。
最近はアリゲーター、ニシキヘビなどをペットにしている人もいて、始末に困った人が、全国の川に捨てるのだという。しかしここ発寒川には、いつも清流が流れている。
返信 2 三木伸哉  投稿日 15/5/18(月) 15:48:55  削除

随想 発寒川の河畔から 2
今年の桜前線の北上は例年になく、猛スピードで北上してきた。近年の地球温暖化による地球の異変は世界中に起こっている。
まさに人間の自然の摂理を壊して次から次へと自然を破壊、北極海の大氷原が溶け始め、海氷が解けて小さな島が次々と埋没する現象、海氷の上で生活できなくなったシロクマの哀れな生態、そうかと思うと、一頃考えられもしなかった、温暖系の海産物が北上してきて、北海道の砂浜にも打ち上げられるようになった。

その昔「包丁一本会」というオトコばかりの料理の会に所属して、「はっかく」の刺身など人目には鮮やかな手つきで、本物の料理人ではなかろうかと見間違えるほどの手際の良さで、捌いたり、教え子達から戴いた、刺身包丁や、出刃を持参しては「包丁一本会」で腕を上げていたことがあった。

その腕前を妻と娘に(息子はもう上京していたので)腕をふるった。中国から仕入れてきたギョウザもつくってみた。しかしあろうことか、家内と娘は、私のせっかく創った料理に箸も付けようとしない。料理人としてはこれほどの侮辱はない。
「どうして食べないんだ」と聞くと、一部始終を見ていたけれど、どうも製造過程が不潔というか、一言で言うと、ろくに手も洗わずに、料理しているその不潔極まる料理方法が気に入らないと言うのであった。

返信 1 三木伸哉  投稿日 15/5/18(月) 15:46:33  削除
西野という土地は「石野」と呼ばれるほど岩盤がしっかりしており、札幌が震度3,4といわれても、震度2になった事があるくらいで、発寒川の川底の岩盤に建つこの地域の住宅地に、発寒川の両側に、桜並木が植えられ、春4月にはソメイヨシノを皮切りに、百花繚乱とした花々が発寒河畔を彩る。
なかには御衣黄桜(ギョイコウ)という桜は、その昔京都の「仁和寺」にあった珍種で、どこをどうめぐってきたのか、その御衣黄桜が、花見客を賑わしてくれる。

ひところ小中学生のさざめくような声が聞こえた地域であったが、もうすっかり昔日の面影が失せて、空き家も散見されるようになった。路上でケンパやメンコ、ボールケリをしていた少年達はどこに姿を消したのであろう。皆親元を離れて旅立っていった。
札幌も過疎化が進んでいる。
私と同年配の人たちも多くなった。町内会の役員も長くつとめてきたが、この素晴らしい西野に骨をうずめることになれば、もう一踏ん張り、生き甲斐のある日々を送りたいと思うこの頃である。

以下の文章は私が書いた「北海道新聞の投書欄」に掲載されたものや、日々の雑感などを、書き留めていきますのでお許し願いたいと思います。

返信する

パスワード

一覧へ戻る】 ※最新の画面を表示するには再読み込みしてください.