新規投稿者 三木伸哉
投稿日 15/5/20(水) 12:25:23
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随想 発寒川の河畔から 3
この地に住んで45年にもなるので、この間、子ども部屋の増築、客間の増築だとか水回りの修理など、新築当時より、2倍は金をかけて、総二階した。
60歳の定年後、手稲区の少年相談室という所で、少年の補導や、不登校の子ども達の相談に乗りながら、学校教育では、適応できない子ども達のお世話をしていた。
3年経ったころ、中国の派遣教師として募集しているハナシが、北海道新聞に掲載されていた。中学校高校の国語か英語の免許を持った定年後の教師を対象としてという。
中国での生活のあらましは何度もお伝えしているので、二年間の留守超の我が家の移り変わりを述べておきたい。
庭づくりの基礎的な部分は完成していたが、帰宅後は管理人が妻の手に変わったのは仕方ないとして、窓枠も堅牢なものが設えてあり、みごとな枝振りの赤松ももうこれ以上、成長しないように、配慮がされていた。アタマをちょん切っていたのであった。
いずれジーサンバーサンがこの家を必要としない時が必ずやってくる。ところが、教え子の建築士が、まだまだしっかりした作りだから、更地にしてしまうのは、モッタイナイですよ」といってくれる。
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