<25>談合の必要悪論の深層原理
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 08/12/7(日) 15:35:03  返信も含め全削除

1.大儀名分型の談合必要悪論
 談合の必要悪論には、二つの視点による言い訳論が存在する。その一つに大儀名分型必要悪論である。競争原理が無限大に作用すれば、仁義無き戦いが始まり共倒れ現象が起き企業は倒産する。企業が倒産すれば、従業員は失業し地域経済まで大きな影響を与えるという論法である。この論法は市場経済において通用するものではない。なぜなら市場経済を否定しているからである。市場経済とは、自由な取引を前提にした市場システムのことであり、取引を自由にすれば仁義なき戦いになるのは当然である。したがって、市場経済自体が仁義なき戦いのシステムなのである。地域経済の問題や雇用問題、災害緊急時の業界緊急対応策等のために談合が必要であるという論法は、真実であるにせよ通用するものではなく、国民も納得するものではない。

2.生産と取引形態による談合必要悪論
 生産された完成品を市場に提供し、売買される仕組みを既製品市場というが、請負業のように生産される前に市場において売買され、売買契約が成立した後に生産する仕組みを注文生産市場という。もともと市場経済は既製品市場のシステムとして進展してきたものであるから、注文生産は市場経済では想定していないのである。仁義なき戦いの市場経済は既製品市場においては、過度な競争が作用しても不具合を起さずシステムが機能するが、注文生産取引において、生産前に過度な競争が作用すれば、取引システムが耐えられなくなり不具合が一挙に噴出する。つまり生産される前の過度な競争は、低入札を誘発し当初想定された品質を確保することが難しくなるためである。そのため適切な品質保持のため、水面下で談合が行われるという論法である。この論法の趣旨は客側の発注者も理解できるため、民間においては一般競争入札になることはほとんど無く、特命による随意契約が一般に用いられるのである。公共調達の場合は一般競争入札の必要論もあるが、やはり不具合が多く品確法や総合評価法でも補完ができているとは思えない。

3.客側の発注者も一般競争入札は不合理
 一般競争入札は、自由主義経済における典型的取引形態であるのが一般競争入札となるが、一見自由に見える一般競争入札には、大きな欠陥がある。それは客側の発注者が生産者を選考するための選択権(指名権)を放棄する点である。生産者側に選考権が委譲する形態になり、客側が生産者を選択する権利を失うことになり、市場における取引の対等性を失う結果となる。このようなことを民間においては容認するはずがなく、取引形態に問題があるのである。この点で民間取引は特命による随意契約になるのである。以上の点で注文生産市場が未熟か欠陥のまま放置されてきたことが分かるのである。今後市場論として注文生産市場の高度な研究を進めなければならない点がここにあるのである。

返信 ご意見やご質問をどうぞ

パスワード

一覧へ戻る】 ※最新の画面を表示するには再読み込みしてください.