158.必要悪の談合論とドンブリ計算の幻想
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 6/1(水) 06:54:48  返信も含め全削除

1.必要悪としての談合が絶えない社会背景
 何故、これほど談合が頑強に継続されるか。これにはそれなりの理由がある。第一に実際に発生した全国の平均単価を基準単価として用いており、実態としての基準単価に正確な工事量を乗じて計算した金額が予定金額であるから、予定金額は全国の実勢工事金額を反映しており、落札金額として実態に合った工事金額と言うことになる。これを単純に目先の争いで入札金額が異常に下がることは決して良いことは言えないであろう。これがダンピング論として主張される所以である。市場経済は競争原理が際限なく作用するため、時として過度に作用し企業経営や経済に大きなダメージを与える場合がある。しかし現在の入札制度に代わる適切な入札制度が他に見つからないのである。役所が工事配分の権限を握ればこれは官製割付(官製談合)であり、その先には経済が破綻した社会主義圏の計画経済がある。市場経済では過度な競争でダンピングとなり、社会主義的な工事配分制度では競争無視で国が滅びてしまう。市場経済、計画経済何れも大きな弱点を持っている。
 
2.談合はドンブリ一杯分の価格争い
 ドンブリ一杯分の基準単価が実勢価格であるのに、競争によって異常な低価格で落札することはダンピングであることは間違いない。営業マンと発注者の間ではドンブリ一杯分の価格争いになる。しかし問題は、施工現場までドンブリ計算を持ち込んでいることである。何故なら実際原価の発生メカニズムは、営業段階の原価計算とは決定的に違うからである。ドンブリ一杯分の原価は、段取りや施工の仕方、工法等によって大きく変動するし、実際原価についても計算手法が多岐にわたり、計算手法を変えただけで実際原価が大きく変化する。これらの組合せを考えれば数百種類の違った原価となって現われる。原価の金額差も数十パーセントの差異があり、ドンブリ計算とは比較にならない違いがある。これを一杯分の原価が同じであるかに思うのは幻想である。基準単価の全国平均単価が実勢単価であることは間違いではないし、予定金額の算定も間違いではない。しかし、施工現場までドンブリ一杯分の単価計算を持ち込むのは決定的な間違いである

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