| 新規投稿者 三木 伸哉
 投稿日 05/3/14(月) 11:10:45
 返信も含め全削除 回想中国 4 劉先生の来訪
 学生との対面し、授業が開始されて1週間ほど経ったときであった。
 外事処から次のような連絡があった。「もと大連のロシア語と日本語の教師で、いま70才になる中国人が、ぜひ日本人の教師の三木先生に会い、歓談したい。と言っています。いかがしましょうか、」というのである。
 一人中国へやってきて、誰一人近くに日本人もいない、学生以外、日本語を話す人もいない環境であるから、二つ返事で承諾した。
 翌日手みやげを持参して、私の宿舎の専家楼へやってきた。楼という文字が何とも日本人には憂愁を湛える文字に見える。五番街夕霧楼を彷彿とさせるような。
 私の専家楼にやってきた劉先生の闊達な言動には感心した。
 日本語が実に達者である。もちろん日本語の教師であったから流ちょうに話す事ができるのであろうが、普段の生活でしばらく日本語から離れていたというのに、舌を巻くほどの日本語である。
 「お一人で中国へ来てなにかとご不便でしょう、どうして奥さんを連れてこなかったのですか。」
 「家内は中国へ来たいと言っていません。この中国へやってきて、毎日、新聞もテレビを見てもわからない生活、退屈でどうにもならないでしょう。それに今回の派遣教師で、夫婦同伴は一割くらい、四組ほどしかいません」
 
 |