新規投稿者 三木伸哉
投稿日 10/10/16(土) 08:02:29
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旅順からの「坂の上の雲」11
日本統治の台湾(天使さまが代わった)1
中国にとっては、1894年日清戦争が起こり、アヘン戦争(1840年)以来の国辱の中でも、とりわけこの日清戦争の敗北は大きな挫折であった。和議を結ばざるをえず、講和の代価はきわめて大きかった。2億両(日本円で3億円)という賠償金は当時の清朝の国家予算の3倍であった。仮に今年度の日本の国家予算の3倍にも相当すると考えただけでも、天文学的な数字になる。このような賠償金が中国をどん底に落とし入れた。
台湾、この辺境の小島を、1684年、オランダ人から奪い返し、清朝政府に組み入れられた。それから200年、清朝に隷属されていた台湾であったが、漢人主体であった。他民族、多言語社会、原住民も多かったが、平和な生活を享受していた島であった。
その島が日清戦争の賠償の一部として、日本の支配下になったのである。幸か不幸か日本は歴史上、そのような被占領国になったことはない。沖縄の人々には、いまだに忍従の生活をさせているけれども、そのような国は世界に例がない。外国に攻撃されたのは元寇のとき位であり、おりしも2度も、台風が押し寄せた。
「いざというとき神風が吹く」と教えられていた太平洋戦争時代であった。
ただ太平洋戦争終結のとき、ソ連が突然の参戦、満州に大きな爪痕を残し、日本人の残留者を殺傷し、日本兵の60万人ほどを捕虜として引き連れていった。やく1割の6万人ほどの日本人男性が、かの酷寒のシベリアで命を落としている。よく酒を飲んだ隣人のオジサンはシベリアの抑留者であった。
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