新規投稿者 三木伸哉
投稿日 10/10/16(土) 08:03:48
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ヤルタ会談でスターリンは「北海道の半分をソ連領としたい。留萌から釧路に線引きをしてその北側をソ連領にという申し入れであったが、トルーマンが反対、南樺太の返還、と未だにくすぶっている北方四島を持ち去った。
あのころ網走管内に住んでいたから、もしソ連領になっていたら、いまごろドイツ、朝鮮半島のようなことにも、なっていたかも知れない。
日本という小国の島国が、このような地域的特異性を持っていたため、夜郎自大に陥り、日清戦争で味をしめ、日露戦争にも奇跡的な勝利という快挙を成し遂げた。さて当時、いとも簡単に日清戦争に勝ってしまった日本は、1895年4月、下関条約を締結し、戦火から遠く離れた台湾を占領することになった。台湾人には、悲劇の始まりの50年間であった。
台湾に旅行したことのある人は、何の違和感もなく旅を終え、対日感情の悪さも一切感じないという人が多い。しかし世代がもう代わったのである。
しかし80歳代の人には、半世紀にもわたる占領下の生活がどのようなモノであったかよく覚えている。強制された日本語学習、日本語もすらすら口の端からでる。NHKスペシャルには当時の占領下の生活を克明に再現していた。
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