新規投稿者 三木伸哉
投稿日 10/10/21(木) 05:25:21
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19世紀の末、清朝が軍港の建設を始めた。それを日本の軍隊が占領した。いまから105年前に遡る。この旅順から北京。天津を睨む軍事的な要衝であり、一台軍事拠点であった。だから長い間、軍港も旅順の街そのものも、外国人の立ち入りを禁止されていた。旅順博物館には、大谷光瑞が探検隊を引き連れて中央アジアを巡って収集品が収められている。その向かい側はロシア風の建築物で、日本軍司令部がおかれていた。
「ヤマトホテル」は満鉄が経営していた豪壮なホテルで、満州時代7つくらいあったと言われているが、やはり大連のヤマトホテル(大連賓館)が最も華やかで豪華な感じがする。ここ旅順のヤマトホテルには、東洋のマタハリといわれた、川島芳子の結婚式場であったし、ラストエンペラーの溥儀や夏目漱石も宿泊した所であった。
長いあいだの旅順の外国人の閉鎖は、経済発展にも妨げになった。1996年に203高地を開放し、昨年(2009年)11月旅順軍港も開放された。もう軍事的機密を守らなくても良くなったのであろう。「坂の上の雲」にあやかって日本の旅行会社が、歴史探訪ツアーも計画されているという。
日陰の花はこれから世界に開こうとしている。1世紀の時空を経て。
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