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新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/10/24(日) 05:58:18  返信も含め全削除
緒戦ですばやく手を出し、すばやく殴りつければ、日本の国際的な印象がよく写り、戦費調達のための外債もうまくいく。なにしろすばやくケリをつけろ。というのが日本とロシアの戦争の国内事情であった。
この恐ろしい綱わたりのような金策巡りに、海外を走り回ったのが高橋是清であった。開戦から半月後、2月22日に是清は横浜港を出帆している。
開戦してから金策に世界を回っていたのである。まずニューヨークに向かったが、アメリカ自体、外資を導入して国内産業を育成していた時代、銀行の反応は冷たかった。

早々にアメリカに見切りをつけてロンドンに渡る。ロンドンでは有利とは言えない条件で日本の望む1000ポンドの半分の起債を手に出来た。
そして是清のアメリカ時代のユダヤの友人シフが、半分の500ポンドの資金を調達してくれた。これも緒戦の日本の戦果が世界によく写ってみえたからであった。よくもまあこのような綱わたりのような資金調達ができたものである。

戦時景気というものはバクチのようなもので、日本の勝利が伝えられると、日本公債は人気を呼び、ロンドンでは30倍も値がつき、ニューヨークでも即日申し込み締め切りという大盛況であった。
すべて高橋是清の金策巡りの成果、度胸の据わった男であったのと、シフというユダヤ人の友人が、ロシア帝国を大嫌いであったからだという。

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