旅順からの「坂の上の雲」19
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/11/15(月) 09:02:14  返信も含め全削除
旅順からの「坂の上の雲」19
登場するさまざまな人物像(正岡子規の記者時代と生涯)

旅順の戦場で、森林太郎(森鴎外)に出会う場面がある。
「君は日本新聞の正岡君か」「はいそうです」という会話から、森鴎外が軍医としての無力さをしみじみ述懐する場面が出てくる。
「正岡君、日本は勝つには勝ったが、わたしは日本の兵隊を8000人も亡くしてしまった。その多くは病死なのだ。脚気をはじめとして戦わずしてなくなった軍人が多すぎる」と森鴎外は軍医としての無力感を感じて、肩を落としていた。
そして明治維新の文明開化とは何であったのか、そしてやたらと戦意を高揚する新聞の威勢の良さ、こうした報道が我が国を誤った方向に向かわせているのではないかと」森鴎外が呟く場面。

「亡き人の 骸をかくせ 春の草」子規の一句を鴎外に紹介している。
戦地から帰国する船上で子規はまた喀血する。病勢は進むばかりのようである。
日清戦争の旅順に派遣されて、日本軍がどのように中国人を扱ったか、旅順はじめ、遼東半島一帯に駐屯した日本軍の横暴きわまる振る舞いは、私が実際この目で見た博物館の展示物、中国で教えられている教科書を目にして、驚くばかりであった。そして恐ろしいことに日本の若者はほとんどそのような歴史認識がない。意図的に教えられていないのである。センター試験に出ないからと言うが、高校教師の答えのようである。

返信 1 三木伸哉  投稿日 10/11/15(月) 09:04:03  削除
正岡子規の母親が呟くように語る場面がある。
「日本は、ずいぶん親しかったお国と戦っておるんじゃね。文字もシナからじゃ、シナは夢のような国で、だれも憎いと思わなんだ」
日清戦争とはなにか、天皇制の帝国主義戦争である。そして最初の植民地獲得のための戦争と、だれも口には出さなかったであろう。このような定義は太平洋戦争終結後、いわゆる進歩主義学者の発言であり、市民権を得た言葉であった。
君を送りて思うことあり蚊帳に泣く
真之がアメリカに留学するとき、子規の「日本新聞」にこの句を載せている。
「思うこと」とは何であろう。司馬遼太郎はこのように分析している。
真之と共に暮らした松山の少年時代、負けん気の強い子規は、自由民権運動にも痺れ、将来は国家の重要なポストを占める人物になろうと思っていた。
 しかし親友の真之はアメリカに留学し、自分は肺を病みカリエスを病み、その病勢が日々に悪化していく。
いまの境遇は大新聞の記者を目指しているのでもない、男子一生の仕事として政治家を目指したのであるが、いまはただ一介の新聞記者、そして己の身は日々に窶れていく、やがて短い人生の終焉を迎えるであろう、そんな思いが子規の胸中に去来していたのではあるまいか、と

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