ふたたび「人間の条件」を見て 6
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 12/2/8(水) 10:55:20  返信も含め全削除
ふたたび「人間の条件」を見て 6

この本を読むと「正義」という言葉が軽く出せなくなる。いっぱしの正義感で学生運動の走りの時代、学生自治会の一員として、正義感などという青っちょろい言葉を使っていた自分自身が恥ずかしくなってくる。
正義という言葉を多く使っている人が、いかにも軽く見えてくる。殺すか殺されるか、明日を、今日一日をどう生きるか、戦争のむごたらしさが、執拗に追いかけてくる。

「人間の条件」の物語は、戦争中の日本であり、個人が抹殺された全体主義が強い時代であった。 その中で主人公は「正義」を貫こうとする。人間的に素晴らしい生き方をしているようにみえても、この時代、軍隊という全体主義の生活の中で、梶の正義感は「変質者」として扱われていく。

自分の考えを持たずに、全体主義という長いものに巻かれてさえいれば、高収入が得られ、高い待遇も手にすることができ、戦地に行かない特権を、やすやすと手に入れる事が出来た主人公であるが、「正義感」が強いばかりに、自分だけぬけぬけと甘い汁をすすることはできなかった。

とうとう中国人への虐待を見るに見かねて召集令状が来ることになってしまう。おそらく五味川純平その人の生き方を描いた実話が紹介されているのであろう。
ます。でも「理想郷」でも全体主義が力を利かせている世界だと言う事に落胆してしまいます。


返信 1 三木伸哉  投稿日 12/2/8(水) 10:56:08  削除
戦争は暴力や殺人を合法化する。その中で、人間が人間であることを全うしようとすれば何が起こるのか、人間であるためにはどう生きなければならないか、人間として生きることは可能なのであろうか、人間として生きられなかった時はどうなるのであろうか・・・。作者は、中国東北部における戦争末期を舞台に人間の条件をひたすら追求する。

「人間の条件」の作品の底辺に流れているものは、人間として生きる、人間らしく生きるとはどんな生き方なのか、あの北満で体験したむごたらしい戦争体験を背景として、五味川純平が追い求めたのがこの作品のモチーフ「であった。

荒野の彷徨の第6部では、笠智衆が老爺の姿ででてくる。「あんたがたは、ここからどこへ逃げなさるおつもりか」と例の口調で問いかけてくる。
笠智衆が戦場にあっても、何とも言えない長閑で平和を感じさせるスロ一テンポ、遅れたセリフ回しで語ってくれた。
「あんたがたにお願があるのだが、この近くに野菜畑があって、まだいくらかの作物がのこっとる。女の手では無理だから、兵隊さん方が見張りをして、女たちが運ぶのを手伝ってくれんかのー」おそらく笠智衆のような存在が、殺伐としたこの映画の中では欠かせない存在なのだろう。ゆったりとした言動が、見るもの、聞くものをほっとさせる。

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