建設産業研究部会

2001/10/17

建設-2<ISOを機能化する>ISOの失敗事例と再生化

建設-2-3 なぜ日本人にISOが馴染まないか

(1) 均一化したアジア系混血民族の日本人 
 日本は、南方系、大陸系、北方系の民族が長い時間をかけて融合化した混血民族であるが、日本は地理的に他国から孤立した位置にあり、しかし、地理的には他国から孤立した位置にあり、国内での融合化が進むことによる単一民族化が進んだものであろう。更に、長期の鎖国によって歴史的にも世界から精神文化が孤立した状態が長く続き、独特の文化をつくり上げた民族である。米国のように近代になって多民族で建国した国とは違い、日本民族は習慣文化が非常に均一化しており、「あうんの呼吸」や「以心伝心」といった多民族国家ではみられない独特な精神文化ができ上がって今日に至っている。

(2) 日本の教育文化の均一性
 日本の教育は、単一民族の教育機関として平均人間製造工場の学校が要求され、その教育も単一民族に共感され近年までは順調に推移してきた。教育レベルも世界最高の水準であったから、平均人間製造工場の出身者は均一化した仕事に適しており、通常業務にマニュアルの必要はなく、何らの支障もなく業務が遂行されてきたのである。生産された製品も良質で均一化しており、世界から高い評価を受け高度成長を遂げることができたのである。この点で日本の学校制度は決して間違いではなく、むしろ大成功であったと見るべきである。しかし、近年の社会状況の変化により人々は多様化とオリジナル性をもった人材が要求されているし、新人類と呼ばれている若者からも新しいタイプの人材が急速に増加している。その点で大量平均人間製造工場の学校にも、独創性や創造性の教育が要求されるに至っており、均一性基本としていた日本の教育システムが転換を迫られている。

(3) 日本人は作業のマニュアル化を嫌う
 平均人間製造工場出身者の均一化された日本人は、活字化したマニュアルによって働かされることが煩わしく、もっともマニュアルを嫌う民族であった。マニュアルやISOは基本的に日本人には馴染まなかったのである。現場の担当者の教育レベルやセンスも、マニュアル原案作成者よりも優れている場合もあり、現場の内容を熟知してない者が建て前で作成したマニュアルが信頼されない場合が多く、強要すると担当者は不満をつのらせるのである。

(4) レッテル化する日本のISO
 以上のごとく日本人はISOを活用する意思が希薄であり、馴染まない民族であるが、建設産業は施主側からみると施工方法等各種の疑問点が多く、品質等に信頼性が欠ける場合が多い。そこでISOを取得することによってユーザーの信頼性確保や営業戦略的上の武器として利用する企業が増加するのは当然である。また公共工事についてもISOがない場合の入札不利説の噂が流れており、経営者は強い恐怖感に襲われている。ISOのコンサルタントもこの点をついて営業してくるのである。たしかに営業上の有利性の意義はあるであろう。そのため企業側も真に品質管理上のISOの効果を想定したものではなく、形式的ISOを採用する企業が増えている。名刺にISOのマークを入れることが目的となり、実質的に活用する意思は希薄な企業が多くなる必然性がある。そのためISOに付随する事務処理等が煩雑であり、現場からは、かえって生産性の効率に悪影響が出たとの意見が多く、ISOは実質的には冬眠状態の企業が多い。また継続審査等に多額の費用がかかり、中小企業にはかなりの重荷になっているのが現状である。

(5) 近年の日本人の作業モラル
 近年、日本の物づくりの信頼性が揺らいでいる。高度成長期のQC運動も低迷しており、産業界の競争力も総合的に競争力が低下している。これには二つの原因がある。第一に発展途上国への工場移転と共に技術移転も進み、結果的に産業空洞化により、他国との品質について競争力を失ったことである。これは地球規模で市場経済の論理が作用した結果であり、産業界の地盤沈下は深刻なものである。第二の点は、日本的経営が世界市場経済のリズムに合わなくなったことである。近年の東海村の臨界事故、ロケット打ち上げ失敗、自動車会社のリコール隠蔽、食品加工事件等、日本人のモラル低下や危機管理等に、従来型の管理システムが機能しなくなったことを表わしている。この日本の産業界の事態をどのように乗り越えるかが、日本経済にとって大きな課題を抱えている。

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